焼酎・泡盛を知る

焼酎・泡盛の歴史

焼酎・泡盛の歴史

焼酎造りは約500年前に南日本で始まりました。清酒造りの基本技術と蒸留法の組み合わせが、日本独自の蒸留酒を生み出しました。
この独特な製造方法が発展し、焼酎の歴史が作られていきました。

醸造における麹の使用

Use of Koji in Brewing

でんぷん質の原料からアルコールを造るには、糖化と呼ばれるでんぷんを糖に分解するプロセスが必要です。ビールやウイスキーでは麦芽を利用しますが、日本酒や焼酎などの伝統的な日本の酒では、麹菌と呼ばれる特殊な菌で糖化を行います。麹を使う技術がいつ、どのように日本に持ち込まれたのかは定かではありませんが、古代中国から稲作と並行して伝わったとされています。

8世紀には、国内で酒造りに麹を使用した最初の記録が残っています。その後、この手法は各地で洗練されていきますが、この清酒作りの技術が焼酎のもろみづくりの根底にあるのは言うまでもありません。

蒸留技術の伝来

Introduction of the Distillation Technique

蒸留技術は紀元前3500年頃にメソポタミアで開発されたとされ、初めは香水をつくるために使われていました。アルコール生産における蒸留技術の使用に関する最も古い記録は、紀元前800年から750年のインドとエチオピアに残っています。

その後、13世紀から14世紀までに中国と他の東南アジア諸国に到達しました。日本には、15世紀頃、日本南部の島々と周辺地域との間の活発な貿易を通じて伝えられたとされています。琉球王国の対外貿易の公式文書によると、15世紀には蒸留酒がシャム(現在のタイ)や朝鮮などから贈与されており、沖縄には蒸留技術もこうした蒸留酒と一緒に入ってきたと考えられています。

また、日本本土への導入ルートについてはさまざまな説があり、沖縄ルート、中国ルート、朝鮮半島ルートの3つが有力とされています。

焼酎製造の記録

Records of Shochu Production

1546年、ポルトガルの商人ホルヘ・アルバレスは、『日本の諸事に関する報告』の中で焼酎について書いています。これが、焼酎の最も古い記録です。アルバレス氏は、現在の鹿児島県指宿市である「山川地域では米から作られたオラクア(蒸留酒)を飲んでいた」と書いています。

13年後の1559年、鹿児島北部の神社の木造構造に神社の工事に携わっていた大工が上司の「焼酎」という言葉とともに上司への苦情を書き込みました。「座主が大変なケチで焼酎を一度も振る舞わず、迷惑なことだ」と書かれています。これが、日本における焼酎の最古の記録です。

焼酎需要の高まり

Increasing Demand for Shochu

江戸時代(1600〜1868)、焼酎は幕府に贈答品として贈られ、飲み物としてだけでなく、刀傷の消毒剤としても評価されていました。やがて、沖縄や南九州地域では需要の高まりに対応できなくなり、大名らがそれぞれの地域の酒蔵に酒粕の焼酎を作るよう命じるようになりました。こうした地元産焼酎と貴重な沖縄の焼酎を区別するために、1671年ごろから公式文書に「泡盛」という名前が登場し始め、定着するようになりました。

主原料の多様化

Diversification of the Base Ingredients

アルバレス氏の記述や他の歴史的文書の記録に見られるように、16世紀の焼酎は、米(酒粕を含む)が主原料でした。地元で入手可能な材料に応じて、主原料が多様化したのは少し後のことです。

南米原産のサツマイモは、17世紀初頭に中国から沖縄に伝来し、その後、鹿児島や鹿児島本土に持ち込まれました。サツマイモは鹿児島の土壌でよく育ち、すぐに焼酎の原料としても使われるようになりました。橘南谿は1782年から83年にかけての紀行文「西南記」で、鹿児島のさつまいも焼酎を称賛しています。本書には、さまざまな種類のキビからも焼酎が造られていると記録されています。また、壱岐島では、米の多くが年貢に取られるものの、麦は年貢の対象外だったため、17世紀から農家が麦から焼酎を造るようになりました。

製造方法の改良

Refinement of Production Methods

焼酎の製法が各地に広まり、原料の多様化が進んだ江戸時代から明治時代に入ると、製法が洗練され始めました。1900年代初頭の1次2次もろみ仕込み法の開発や沖縄から導入された黒麹やその変異種である白麹の使用は大きな進展であり、焼酎の生産量および質を向上させることにつながりました。

また、1970年代には減圧蒸留器の発明や麦麹が開発され、軽い味わいの焼酎が生産できるようになりました。これが、焼酎が全国的に気軽な飲み物としての地位を獲得する要因となりました。

全国的な焼酎ブームの到来

Nationwide Shochu Booms

軽い味わいの麦焼酎が開発されたことにより、九州以外の人々も飲みやすくなり、1970年代後半から1980年代初頭にかけて全国初の焼酎ブームが起こりました。この突然の人気により、焼酎に対するイメージが、地域的な酒から気軽に飲める国民的な酒に変わりました。

一次焼酎ブームの後、人々はより新しい風味の製品を求め始めました。その結果、2000年代初頭の第二次焼酎ブームでは、独特な風味を持つ焼酎が脚光を浴び、伝統的なサツマイモ焼酎なども人気を博しました。

焼酎の歴史年表

Time Table of the Shochu History

715年

カビ(麹菌)を使った酒造りが初めて記録される。

1480年ごろ

蒸留技術が沖縄に伝来。

1546年

ポルトガル商人ホルヘ・アルバレスの文書「日本の諸事に関する報告」に、
「(鹿児島の)山川地区では米から作った蒸留酒を飲んでいた」と記録される。

1559年

鹿児島県北部の神社の木造建造物に国内初の「焼酎」の文字が記録される。
「座主が大変なケチで焼酎を一度も振る舞わず、迷惑なことだ」

1603年

最初の日葡辞書で、「焼酎」項目が記載される。
「オラカバのように火を残す酒」と表現している。

1671年

沖縄の泡盛と他の地域の焼酎を区別するために、公文書に「泡盛」という言葉が使われる。

17-18世紀

中国から沖縄にサツマイモが伝来。その後、鹿児島にも伝わる。

17世紀

壱岐の農家が麦焼酎を作り始める。

1782-83年

橘南谿が鹿児島の芋焼酎を絶賛、紀行文「西遊記」に各種雑穀の焼酎を掲載。

1900~1910年

二次もろみ製法が誕生し、製造方法の主流となる。

1912年

鹿児島の焼酎メーカーが黄麹菌から黒麹菌を使い始める。

1918年

熊本国税局の河内源一郎氏が、黒麹菌の突然変異体である白麹菌を発見。

1973年

減圧蒸留を福岡県のメーカーが開発。

1970年ごろ

麦麹の開発に成功。

1970年代後半

第一次焼酎ブーム

2000年代前半

第二次焼酎ブーム

そして現代、焼酎・泡盛は
伝統を引き継ぎながら
更なる進化を遂げています。

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