第16回 地域性鮮やか、多彩な原料の焼酎王国
宮崎空港発のリムジンバスは15分ほどで、フェニックスが通りを彩る南国のリゾート都市、宮崎市の中心街へと入っていきます。まずここで宮崎名物“冷や汁”をいただくことにしました。いりこや白身の魚を焼きほぐし麦味噌と合わせた焼き味噌をだし汁で割り、あつあつの麦飯(米7麦3)にキュウリや胡麻、青シソ等をのせてかけたもので、さっぱりしていながらコクがあります。「焼酎を飲んだ後にもこれが一番」と店主の一言。「宮崎はビアホールでもビールは最初の1、2杯で後は焼酎。冠婚葬祭は、夏でも酒は焼酎」という話も聞いて、焼酎王国、宮崎に来たことを実感して宮崎の本格焼酎、探訪です。
宮崎県は東は日向灘(ひゅうがなだ)に面し、宮崎市から南へ野生馬で知られる都井岬に至る日南海岸、北の日豊海岸は九州でも屈指の風光明媚な海岸ですが、総面積の7割が山岳地という山国です。北から西・南に重畳に連なる山並は深く、秘境の地、高千穂・椎葉(しいば)・西米良(にしめら)を生み、「刈干し切り唄」や「日向木挽(こび)き唄」といった民謡の数々が山里で歌いつがれてきました。この様な地形から中世より群雄割拠の相を呈し、江戸期には小藩の諸領が分立していました。
その地域性は今も色濃く宮崎の本格焼酎に反映し、薩摩藩領だった南西部は芋焼酎圏、中東部は実質10万石といわれた人吉藩の支配が及んでいたことから米焼酎が、北部山間で雑穀焼酎が主に造られてきました。
そして昭和48年、雑穀焼酎の産地から、そば焼酎が誕生します。日本で初めてそば焼酎を製造した蔵元は、熊本との県境、五ヶ瀬川源流の地で、昭和45年に高千穂地方で採れるトウモロコシを原料に、とうきび焼酎を全国で初めて造り出しています。その柔らかみのある味わいは好評を博し3年間で4倍の売上を記録しますが、周辺の蔵も一斉にとうきび焼酎を造り出し、“高千穂焼酎戦争”とまで言われました。
それを機にそば焼酎のトップメーカーとなるその蔵元は、五ヶ瀬町特産のそばを原料にそば焼酎の開発を進めます。現在宮崎市内にある本社で話して下さった担当者は、「そばのえぐみを出さず、旨みを引き出すことが課題でした。ある時3カ月貯蔵したタンクの所に行くと馥郁(ふくいく)たる香りがしたそうです。飲んでみるとまろやかな深い味わいになっていた、熟成がそば焼酎を生み出したのです」と語ります。そば焼酎は、本格焼酎の世界に新たな味わいを確立し4大原料の一つとなって、販路を県外へと宮崎の地より羽ばたいていったのです。