春秋謳歌

第63回 西郷どんと酒税

第63回 西郷どんと酒税

 大河ドラマ「西郷どん」が始まった。母、満佐は焼酎造りが得意だったそうだが、第2回目には早速、父、吉兵衛が蒸留器から滴り落ちる焼酎をうまそうに飲んでいるシーンが登場した。この頃は家庭で自由に焼酎が造れたのである。

 西郷どんは戊辰戦争が終わると新政府への出仕を辞退し明治元年11月に鹿児島へ帰るが、西郷不在の新政府は、派閥争い、維新の論功行賞に不満を持つ士族たちの反乱や騒動などの困難に直面していた。西郷は局面打開のため、明治3年12月に新政府によって呼び戻され、当時最大の懸案事項であった「廃藩置県」を断行する。実質的に諸大名から土地と人民を新政府に取り上げたのである。そして、営業自由の原則を打ち出し、酒も製造量に関係なく、年5両の酒税を納めれば誰でも酒造業を始めることができるようにした。

西南戦争戦没者招魂社跡(鹿児島県南さつま市)

西南戦争戦没者招魂社跡(鹿児島県南さつま市)

 廃藩置県からわずか4ケ月後、岩倉具視や大久保利通らは欧米視察に出かける。その留守を預かったのが明治4年11月から明治6年10月までの2年間続く「西郷留守内閣」であった。明治初期の主要な改革はこの留守内閣によって成し遂げられたものであるが、酒税増税については手を付けていない。酒税が動き始めるのは、帰国した欧米視察団と対立し、敗れた西郷が明治6年10月、辞表を提出し鹿児島へ帰った以降のことである。下野した西郷は「この節柄、専売の手法は決してこれなき訳と存じ奉り候」と、麹造りが専売となって困った焼酎屋のためにひと肌脱いでいる(本稿58参照)ことから、西郷どんには酒税増税という選択肢はなかったのかもしれない。

 明治8年には、酒税が地租に次ぐ財源として注目され「酒類税則」が公布され、西南戦争後の明治10年代は酒の大幅増税の時代になっていく。増税の理由のひとつが、西南戦争の多大な戦費であったことは皮肉である。

 平成という時代は焼酎にとって増税に次ぐ増税の時代で、西郷亡きあとの酒税増税を彷彿とさせるものがあるが、西郷どんに現状をどう思うか聞いてみたいものである。

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