第26回 30年の想いと9月の奇跡
鹿児島市内からバスに乗って鴨池港へ、そこからフェリーに乗ります。学生達、サラリーマンが乗船してきました。通学、通勤にも使われている地域船。片道360円、桜島のすぐ側を抜けて約40分、薩摩半島から隣の大隈半島、垂水港へ着きました。
あまり知られていないことですが、鹿児島は国内有数の蕎麦の生産量をほこります。それではお昼は鹿児島蕎麦に決まり。特徴はつなぎに様々なものを入れることで、自然薯、玉子の白身、果ては豆腐など、関東人にとっては驚く限りです。蕎麦は風味が豊かで食べ応えがあり、喉越しが良いというよりはどっしりと重く、甘めの出し汁が良く合っています。関東蕎麦に食べなれている者にとっては不思議な感覚ですが、「美味しいからいいや」と思わせる説得力あるお蕎麦なのでした。
美味しい蕎麦を食べてご機嫌。ドライブがてらに蔵元さんへ、と思いきや大変な悪路が続きます。その上標識通りに行くと、その道はまるごと土砂崩れ。1台ぎりぎり通れる仮設道路をひた走り、やっとお目当ての蔵元さんに到着しました。
「9月15日に台風14号が垂水市を直撃しました。川は氾濫、土石流で道路は流されました。ほら、山崩れも見えるでしょう」と蔵元さん。山の中の静かな雰囲気の蒸留所。その上の山の一部が確かに禿げてしまっています。実はこの蔵元さん、去年に30年ぶりに蔵復活を成し遂げました。そして今年のすさまじい台風直撃でほぼ無傷(6日間仕込みストップ)でいられたのは「奇跡みたいなもの」と蔵元さんは言われます。奇跡を起こす『何か』が働いたのでしょうか。
「蔵の再興を思って30年間、いつの間にかに過ぎてゆきました。しかし今回の芋焼酎ブームによって想いを奮い起こし、様々な人に助けられ、励まされ、やっと昨年に工場が建てられました。仕込みがスタートし、初蒸留。初蔵出しの時は涙が止まらなかった」。開放的で見学者があとを絶たない工場で蔵元さんはしみじみ語ります。今年75歳、現役の杜氏さんにもお話を聞いてみました。「50年間焼酎に御世話になってきました。少しでも恩返しがしたくてまた戻って来ました。もう諦めようと思ったのですがやっぱり焼酎を造るのが好きなんです。楽しいのです」。
焼酎後継者の育成もかねていると杜氏さん。今年の9月、一体何が奇跡を起こしたのか。それは蔵元さんの情熱、杜氏さんの愛情、スタッフの熱意、そして全国の焼酎ファンの人々の希望だったのかもしれない、と思ったのです。