第34回 受難と夜明けから百年
焼酎激動の100年が暮れようとしている。100年前といえば1912年で大正元年である。この年、大正デモクラシーの始まりとも言われる事件がおこった。
「大正のはじめ鹿児島県下でおこった“反権力”的な民衆の騒ぎの第一は県下の政治家、実業家が結束して、国税の徴収機関に正面から攻撃をかけた、すなわち“苛税反対運動”であり、この運動の火つけ役は、なんとショウチュウであった」(「鹿児島百年(下)大正昭和編」、南日本新聞社)。
当時の鹿児島税務監督局長が“小規模業者が乱立していたのでは業界のためにならないから”という理由で、明治43年に1,262人を数えた免許業者を大正元年に485人まで大整理したことから、大正元年9月、地元政財界のオールスターメンバーが集まり“苛税反対同盟会”を組織し局長の排斥運動を展開したのである。平成8年のWTO酒税紛争の際、焼酎の酒税が大幅にアップする危機感から県内各地で反対運動が巻き起こったが、この反対運動の盛り上がりはこれをはるかに上回るものであった。翌年1月に局長を転出させることに成功するが、結果は実質敗北であった。
しかし、この敗北が今日の焼酎の隆盛を招いたことも事実である。生き残った業者に対しては、希望する以上の製造量が割り当てられ、業者の規模は大きくなった。製造方法の見直しが図られ、安定して良質の焼酎が得られるようになり、製造設備の改良がすすみ、かつて幼稚な産業といわれた焼酎業界の近代化が可能になったのである。
焼酎は甘い歴史と苦い歴史の繰り返しの上に今日がある。その味わいも繰り返しの歴史の中で育まれたものである。しかしながら、葛藤の歴史であっても、焼酎に対する県民の愛着は昔も今も変わることはなかった。
お湯割のおいしい季節である。年越し酒のお湯割りにたまには歴史のスパイスを振りかけて飲むのも悪くはない。