第13回 酒呑み山門に入る
酒の心地よい陶酔は、日常の煩わしさを離れ、大自然の中に飛び出した時の開放感に似たものがある。焼酎ロック10杯、公園で裸になって大声で叫ぶ。そこまでの勇気はないものの、気持ちはよく分かる。酔いが醒めれば気分爽快、憂さは飛び散り、今日を生きる元気が湧き出る、といきたいものだが、ついつい羽目を外してヒンシュクを買うのが酒飲みの悲しいサガである。だが、たまには良かろうということで、日本では古来、無礼講と称してハレの日には大いに飲んで騒いで庶民の不満を発散させてきた。
公園の酔っぱらいは注意するか保護するか程度で済みそうなものだが、今では罪人扱いされ、天下のさらし者にされてしまう。せちがらい世の中になったものである。逃げ場を許されない社会は殺伐として、はけ口のない息苦しい世界に思えるのだが。
その点、江戸時代は酒呑みを救済する大らかなシステムができあがっていた。文政5(1822)年の古文書に次のようなものがある。村役人に呼び出された酒癖の悪い平左衛門という男が酔いに任せて悪口雑言を浴びせたのがきっかけで、翌日、組合(五人組)が呼び出され吟味を受けた。何度謝罪しても許されず、村役人は訴えるといって聞かない。そこで平左衛門は寺に駆け込み、寺院の仲介で許されるというものである。
江戸時代のお寺の社会的存在の大きさと懐の深さを感じさせる。寺院の門によく「不許葷酒入山門」(臭い野菜と酒は修行の妨げだから寺内へ入ってはいけない)と書いてあるが、酔っぱらいを救済する寺となると、「葷は許さず、酒山門に入る」と読みたくなる。
駆け込み寺に相当するところがない今の世の中、もっと度量の大きい社会であって欲しいものである。