第22回 サツマイモの島
芋焼酎つくりの最盛期に久しぶりに種子島を訪ねた。鹿児島市の西郷銅像前から一本の国道が沖縄本島までつながっている。鹿児島市から錦江湾を下り、大隅海峡へ出て大海原を横切り、種子島を縦断。また海を渡り、奄美大島、そして沖縄本島へと続く国道58号線である。この琉球弧をつなぐ国道の島々はかつて大陸の文物を日本へもたらした海上の道でもある。そのひとつがサツマイモだった。
サツマイモの伝来は1705(宝永2)年、薩摩の漁師、利右衛門が琉球から持ち帰り本土に広めたのがよく知られているが、実はこれより7年早い1698(元禄11)年に種子島へ伝来していた。領主の種子島久基が琉球王に依頼してサツマイモを導入し、部下に命じて栽培を成功させたもので、現在、東シナ海の荒波に立ち向かうように西之表市の海岸沿いに「日本甘藷栽培初地之碑」が建立されている。種子島久基は島津の家老でもあったことから本土へ伝えてもよさそうなものだが、伝来の功績は今なお、利右衛門に譲ったままである。
久基の孫の久芳は「甘藷伝」のなかで、伝来後「2、3年で島全体に拡充し、酢をつくり、醤油をつくり、糖をつくり、酎をつくり、餌をつくり、羹をつくり、粉を作る」と記している。ここに「酎」が出てくる。「酎」は「焼酎」意外には使われない言葉なので、「焼酎」と解釈していいかと思われる。となると、本土にサツマイモが伝来する前の1700年頃に、種子島では芋焼酎が誕生していたことになる。これは最も古い芋焼酎の記録であることから、種子島に「甘藷栽培初地之碑」だけではなく、「芋焼酎発祥之地」の碑が建ってもおかしくない。ただ、書かれたのが、1762(宝暦12)年のことで、サツマイモ伝来から64年が経過し、また孫の久芳が祖父久基を顕彰するために書いたものでもあることから、信憑性にいささか疑問がないわけではないが、1762年といえども、芋焼酎の記録としては初期のものである。いずれにしても、伝来してから現在まで、変わることなく芋焼酎が島人に飲まれ続けてきていることにサツマイモとの関わりの深さを感じさせられる。そういえば種子島はサツマイモによく似た形をしている。