第42回 黒糖焼酎誕生60年
昭和28年12月25日、奄美群島は米国統治下から日本へ復帰した。復帰に伴い、大島酒造業組合は本土並み酒税の適用と黒糖の使用許可を陳情し、これが認められ、奄美諸島に限り、米麹を併用することを条件に黒糖焼酎の製造が許可された。認められなければ、ラム酒に該当しスピリッツとしての高い酒税が課せられ、“黒糖焼酎”が生まれることはなかった。 それまで黒糖焼酎がなかったわけではない。江戸時代には使用が禁じられていた黒糖を用いて密造がなされていた。米軍統治下の時代、昭和21年に自家用酒の製造が許可され、昭和25年に廃止されるまで、黒糖やソテツ澱粉を用いた焼酎が造られていた。
黒糖焼酎は、本土復帰に伴い、晴れて“日本の焼酎”の仲間入りをしたのである。
あれから60年。奄美群島は照葉樹林が育む豊かな自然や独自の固有種を有する生態系、島唄や六調に代表される文化などの評価が高まり、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界自然遺産登録の準備が進められている。
黒糖焼酎もこの奄美の風土が造りだした文化遺産である。亜熱帯海洋性気候で温暖多雨な土地柄で台風常襲地帯、そして薩摩藩統治下の黒糖生産は奄美をサトウキビの島にした。黒糖を原料にした酒造りは固く禁じられていたものの、米が貴重な奄美では、原料がすべて米麹である泡盛の原料米の一部を黒糖に置き換えることで独自の黒糖焼酎を造りだした。黒糖焼酎が“米麹を併用”することを条件づけられたのは、日本復帰に伴い黒糖だけを原料にしていた黒糖焼酎に“米麹”を併用させることによりラムとの違いを鮮明にしようとしたものではなく、もともと黒糖焼酎は米麹の泡盛製法に黒糖を加えて製造されていたことからラムとは異なるという理由からではなかったかと考えている(どなたか米麹を使わず黒糖だけの焼酎があったことを知っていれば教えていただきたい)。
黒糖焼酎誕生60年を契機に、黒糖焼酎の甘くかぐわしい香りが南の島から日本列島に流れ込むことを期待している。