第43回 暮春には焼酎すでに熟し
桜の季節が過ぎ、街路を彩っていたツツジが役目を終える頃、焼酎蔵に立ちのぼる蒸かし芋の甘い香りが消え、蔵には束の間の安らぎの時間が漂う。だがこの間も、蔵に貯蔵された焼酎は静かに熟成の時を重ねている。
焼酎は時とともにその姿を変えてゆく。できたての焼酎は白濁していて、どこか初々しいあどけなさを持っている。周りに左右されない幼子の自己主張を持っている。この幼子だけでできた焼酎を“新酒”と呼ぶ。
通常は、数か月貯蔵した新酒と熟成を経た焼酎がブレンドされる。貯蔵容器の中の焼酎の風味は、製造期の気候や芋の収穫時期、熟成期間などにより微妙な違いがある。その特徴を嗅ぎ分けて周年変わらぬ味わいを提供するために熟練者による入念なきき酒が繰り返され、銘柄ごとに通年変わらない味わいで提供される。
新酒から数か月の熟成の期間に、白濁した焼酎は次第に透明になってくる。この白濁成分はリノール酸エチルやパルミチン酸エチルなどの成分で、通称“高級脂肪酸エチルエステル”と呼ばれる。焼酎にコクや丸みを与える大切な成分だが、新酒には過剰量に含まれているために白濁を呈している。気温が低くなると溶けきれずに容器表面に浮上してくる。これが空気に触れると酸化されてニオイが悪くなってしまうために、丹念に掬い取る作業が必要となる。浮上した分、焼酎は透明になっていく。そして刺激的な香味は和らぎ、まろやかさが増してくる。
春先になると、あどけなかった幼子も分別をわきまえるようになり、初々しい若者となって独り立ちできるようになる。江戸中期の薩摩の奇書「大石兵六夢物語」にも「暮春には焼酎すでに熟し」とあり、昔からこの季節は焼酎の旬として知られていたようである。
焼酎が熟すころ、次の命に向けた準備が始まる。焼酎蔵の静けさとは対照的に、水をたたえた田んぼでは田植えが始まり、畑では秋の収穫に向けて芋の植え付けが始まった。新緑まばゆい初夏は命の芽生える季節である。焼酎蔵は秋に向けて英気を養っている。