第68回 平成の時代を振り返って
焼酎業界にとって平成は、酒税国際紛争に敗北しての幕開けであり、波乱の時代を予想させるものだった。それまでの日本の酒税体系は応能負担の原則に基づき、大衆の酒には安く、贅沢品など高級なものには高い酒税が課せられ、清酒とウイスキーには特級、一級、二級の級別がありそれぞれに税率が設定されていた。
国際紛争(GATT)の前は、焼酎は清酒二級の半分以下の酒税であった。ウイスキー特級はアルコール換算で焼酎の24倍の酒税が課せられていた。これが平成元年、GATTの裁定を受けて、ウイスキーや清酒の級別が廃止されるとともに、酒税格差の見直しが図られた。さらにWTOの紛争にも敗北し、その結果、焼酎は増税につぐ増税となり、平成の時代におよそ5倍近く酒税が上げられた。一方、清酒は旧一級で比較すると3分の1の酒税となり、現在焼酎の半分以下の酒税となっている。ウイスキーも旧一級比較で40%と引き下げられ、ウイスキーと焼酎の酒税は同率となった。
もともと、日本には醸造酒と蒸留酒を区別する習慣はなかった。清酒は清酒であり、焼酎は焼酎だったのである。明治以降、舶来のウイスキーが入ってきて高級な酒に高い酒税を課すために級別が制定された。それが平成になって、国際的スタンダードの名のもとに、蒸留酒だけはアルコール度数により酒税が高くなる論理にすり替えられてしまった。日本的税体系の敗北であり、破綻であった。にもかかわらず、焼酎は奇跡的に伸び続けた。
だが、芋焼酎ブームに水を差す事故米騒動が平成20年におきた。メーカーには何の落ち度もなく、農水省の不手際だったにもかかわらず米トレサビリティなる奇妙な法律ができてその後の業界に大きな打撃を与えた。
平成の時代は外圧に抗しきれず、また焼酎業界の実情に疎い国の施策に振り回された時代だった。だが焼酎は、これまでも幾多の試練を乗り越えて自立自興の道を歩んできた。新しい元号の時代が再浮揚の時代になることを確信している。